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これからの「お尻」の話をしよう

諸君は、お尻というものを知っているだろうか。もちろん、知っていると思う。お尻は右足と左足をつなぐ大事な器官であると同時に、その両足を前に後ろに動かすという重要な役目を果たしている。お尻なくしては諸君は歩けない。それくらい大事な部位である。

 

それでは、これから諸君にお尻の話をしよう。しかし何も、お尻そのものにアプローチをするわけではなく、イタリア語という観点からお尻について語っていくことにする。そして、イタリア語にとってお尻という存在がいかに不可欠な存在であることを明らかにする。さらにそこから、いかにイタリア語のお尻が危険性を帯びた存在であるかということ、諸君がどのようにそのお尻に向き合う必要があるのかということについて語る。今日の講義の目的は、諸君のお尻に対する心構えについて語ることである。

 

イタリア語にはお尻を使った表現が山のようにある。あるイタリア人をして、「イタリア人は二言目にはお尻だから」と言わせしめたほど、お尻という語で溢れている。イタリアという世間にはお尻が氾濫している。これを、ここでは便宜的に「お尻の洪水」と名づけよう。

 

お尻の洪水を構成する表現は多岐に渡る。イタリア語ではお尻のことをculo(クーロ)という。例えば以下のような表現があげられる。

 

prendere per il culo

プレンデレ ペル イル クーロ

「からかう」 

essere culo e camicia

エッセレ クーロ エ カミーチャ

「仲がいい」

che culo!

ケ クーロ!

「ラッキー!」

avere più culo che anima 

アベーレ ピュ クーロ ケ アーニマ 

厚顔無恥」 

leccaculo 

レッカクーロ

「ご機嫌取り」 

In culo alla balena!

イン クーロ アッラ バレーナ 

「頑張って!」

Vaffanculo!

ヴァッファンクーロ 

「クソ野郎!」

 

この件に関しては、既に別の講義で説明した。詳細はその時の講義ノートを参考されたい。

 

 

k-lieux.hatenablog.com

 

さあ、続けよう。ここからが本題だ。こちらから簡単に講義をしてしまってもいいのだが、それではつまらないし、私は何よりも諸君の考える力を大事にしたい。そこでこうしよう。諸君に一つ問題を提起することにする。諸君にはまずそれをよく考えてもらいたい。

 

イタリア語にはparaculoという表現がある。paraは「防ぐ」という意味を持ち、culoは諸君も既にご存知のように「お尻」である。それでは、paraculoはどういう意味になるだろうか

 

さて、諸君はこの問題は簡単過ぎる、と思うかもしれない。確かに無理はない。paraは「防ぐ」という意味を持ち、culoは「お尻」なのだから、フレーゲの構成性原理により、paraculoは「お尻ふせぎ」となる

 

しかしここで一度立ち止まってみよう。イタリア語における「お尻」は洪水であると先に述べた。そう、「お尻防ぎ」と答えた諸君はこの洪水に飲まれてしまっている。

 

確かに、paraは「防ぐ」という意味を持つ接頭辞である。paracadute(パラカドゥーテ)はcadute(落ちる)ことをpara(防ぐ)で「パラシュート」という意味になる。paradentiはdenti(歯)をpara(防ぐ)ので「マウスピース」、paracarroはcarro(車)をpara(防ぐ)で「車止め」である。諸君が、類まれなるこういったイタリア語の知識を動員して、paraculoを「お尻防ぎ」と考えたことには敬意を表したい。しかし、残念ながら、paraculoは「お尻防ぎ」ではない。聡明な諸君は「お尻防ぎ」に違和感を感じていたはずだ。その意味不明な表現はなんだと*1

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それでは、paraculoは一体何であるのか。もし諸君が日伊辞書を所持しているのであれば、parareという項目を引いてもらいたい。そこには「防ぐ」の他に、「差し出す」という意味が載っているだろう。そう、鋭敏な諸君はお気づきのはずだ。paraculoは「お尻を差し出すこと」であるということに。これなら意味が通る。字義通りにとればいい。「お尻を差し出す」ときに使うのがparaculoだ。

 

しかし、無知の知を知るすいびんな諸君はお気づきのはずだ。こんな表現を使う機会などほとんどないということに。これがイタリア語におけるお尻の洪水である。諸君はこうした洪水に飲まれてはいけない。イタリア語のお尻は字義通りの解釈などではない

 

それでは、paraculoとは一体何であるのか。答えをお教えしよう。一言で言うのであれば「ご都合主義者」である。なんにでも自分の利益になるように振る舞う薄っぺらい人間のことを言う。そう、意味不明である。お尻である必要性はどこにもない。

 

お分かりいただけただろうか。イタリア語においてculoは至るところに登場するが、その意味はもはや人智を越えた第7宇宙の真実のその先にあるといってよいのだ。お尻に惑わされては、イタリア語学習はままならない。イタリア語を的確にかつ柔軟に学ぶためにはこうした身近なお尻の洪水に飲まれてはならない。常にお尻を疑い、日々お尻の裏の意味を捉える必要がある。諸君は常に気を張り、一つ一つのお尻に真摯に向かい合わなければならないのである。

 

本日の講義はここまでとする。それではまた次回。

*1:イラストはHさんからの貰い物だ