ITAMINKIA

イタミンキアです。おうまさんが運営する実用イタリア語検定試験完全非対応のイタリアブログです。

イタリアで日本人があう差別なんてほとんど中国に対する偏見

悲しいですが、地球上どこにいっても差別をする人はいます。

あなたがどれだけ声高に人類愛を叫んでも、差別をする人は絶滅しません。差別を決して受けいれてはいけませんが、差別をする人たちにむやみやたらに反応してもいけません。どこかで割り切るしかないのです。

そうです、我々は神に産み落とされた聖なるこどもたちなのですからそして神の下に我々は自由と愛と自由とそして愛を謳歌し、差別を超えた線状のアリアなのですからそれをもってしてもまだ差別をするという輩に対しては隣人愛顔まけの念仏を唱えてホーホケキョ。

 

なんか途中からわけがわからなくなりました。

 

イタリア留学中にあった差別?の話

 

私がかつてシチリアに留学していた頃...毎日のんきに過ごしていたあの頃、突然友人に呼び出されたのでした。

そして彼らはおもむろにこういったのです。

「おい、警察行くぞ」

 

「え?わ、私、別に何もしてないんですけど!(勉強もしてないんですけど!)」

 

となったわけですが、なんのことはない、私が街を歩いていた時にどうやら「ことばに絶する」罵倒を受けたとのことです。それをたまたま私の友人が見ていたんだとか。

どうやら差別的表現を私に向かって投げつけた人物は車に乗っていたようで、彼らはその車のナンバーを控えたとのことでした。

 

「さあ、一緒に警察に行くぞ」

と意気込む友人たち。

 

「いや、僕、勉強したいし」

となぞの理由で断る私。

 

「なんで、いかないんだい? あなたは差別を許せるのかい?」

と迫る友人たち。

 

「許せないけど、勉強したいし」

と、どんどんテンパる私。

 

「勉強より大切さ、さあ行こう」

と鼻息荒く私を警察署に連れて行こうとする友人たち

 

に結局まけて、友人たちと警察署まで行きました。

 

正直私は警察とイタリア語で話すことの方が億劫でした。差別とか言われても、私は何かを言われたということを全然気にも止めていなかったので、説明することもありませんでした。説明することがないのに相手の時間を奪うなんて恥ずかしいことこの上ありません。恥の多い人生を送ってきましたが、私だって恥ずかしい思いをするのはいやなのです。話すことがないのにイタリア語で警察官と話すことほど避けたい状況はこの世にありません

まあ、それでも、友人たちがそこまで本気で私のことを考えていてくれたことに感動したのも事実です。これはいっちょ差別的発言をしたやつをギャフンと言わせてやろうとおもったのです。というわけで、私はある種の期待に胸を膨らませたのでした。

 

というわけで一通り警察官に状況を説明した友人たちに警察官が放ったのは驚きのひところでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「その場でいいかえしなよw」

 

 

 

 

「その返答はなんだ」

と憤る友人たちを尻目に私はこう思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だよね〜⭐️」

 

 

 

 

ま、というわけで、結局友人と差別をネタに祭り騒ぎをしただけだったわけです。

 

おしまいおしまい。

 

警察は暇じゃないんだね

 

警察もいちいちちょっとした差別的発言に対して腰をあげるほど暇ではないということですね。まあ、イタリアの警察官、結構暇そうにしてますけど。

でもそれでいいと思います。いわれのない差別的発言をする人に対して正面からぶつかってはいけません。相手には理屈が通じませんから。マナー講座の先生とかことばの使い方コンサルタント並みに理屈が通じません。差別的発言をする人はとりあえず相手が傷つく姿を見たいだけなのです。相手にしたら疲れるだけよね。

 

イタリアであう差別のほとんどは中国に対する偏見

 

というか、「中国人」絡みだった気がします。道を歩いているとそういう関連の表現をよく浴びせられました。大した差別じゃないですよね。だって、私と中国人は関係ないですし。

こういうときになぜ中国人が槍玉に上がるのかというと、どうやら彼らがいたるところで商売を始め、イタリア人の職を奪っているという考えをする人もいるからだそうです。確かに、イタリアでは「イタリアのイタリア人がいないところにも中国人は居る」と言われるくらい中国の方は多いですね。商売上手でもあります。

そして、「中国人のこのやろう」とか言っている人に限って中国の方が経営しているお店で買い物をしています。何にも考えてないんですね、奴らは。

 

イタリアで差別にあって思ったのは...

 

イタリアがどんなに愛にあふれる国であったとしても差別をする人はいるということ、まずこの一点。そして、そういう輩は大抵「教育」という道から外れてしまったかわいそうな人たちです。何かを言われたら、反応せずに流すのが一番です。まあ、そういう経験を通して友人の愛の深さに気づいたのは皮肉な気もします。

そして、日本人がイタリアであうちょっとした差別的場面なんて、だいたいいわれのない「中国人」という謎のレッテル貼りで意味はこれっぽっちもありません。これが二点目。

 

もちろん、もっとひどい差別とかもガチでありますが、大抵はしょうもないことですよね。気楽にいきましょ。

 

↓気楽なおうまさん

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