"Meraviglioso"とは
イタリアの名曲、"Meraviglioso"の和訳です。"meraviglioso(メラビリオーゾ)"は、驚くほど「すばらしい」という意味です。英語のマーベラスですね。
この曲は、1968年にDomenico Modugno(ドメニコ・モドゥーニョ)によって発表されたものですが、2008年にNegramaroというバンドによってカバーもされています。どちらもとてもマーベラスですが、昔の曲調は耳に合わないという方は、Negramaro版から聞くのもありかと思います。こちらの方がかなり現代調になっていますので。
解説というほどのものではありませんが、最後に簡単な解説及び曲に対する意見なんかもベロベロ吐き出しました。
Meraviglioso -Domenico Modugno
Meraviglioso - Domenico Modugno
Meraviglioso -Negramaro
NEGRAMARO - Meraviglioso (video ufficiale)
歌詞と全訳
E' vero
credetemi è accaduto
本当なんだ、
信じてくれ、なにが起こったかを
di notte su di un ponte
ある夜、橋の上で
guardavo l'acqua scura
con la dannata voglia
di fare un tuffo giù
どうしようもなく飛び込みたい気持ちで
薄暗い水を見てたんだ
D'un tratto
qualcuno alle mie spalle
そしたら突然、
誰かが後ろで
forse un angelo
vestito da passante
mi portò via dicendomi
Così:
たぶん旅人の格好をした天使が
僕を引き止めてこういったんだ
Meraviglioso
すばらしいじゃないかと
ma come non ti accorgi
di quanto il mondo sia
meraviglioso
いったいどうして君は
どれだけ世界が素晴らしいかに
気がつかないんだ
Meraviglioso
メラビリオーゾ
perfino il tuo dolore
potrà apparire poi
meraviglioso
君の痛みもいずれわかるさ
すばらしいものだったと
Ma guarda intorno a te
che doni ti hanno fatto:
ほら、君の周りをみてごらん
どんな贈り物があるか
ti hanno inventato
il mare
世界は君に海を
作ったんだよ
Tu dici non ho niente
きみは、自分にはなにもないと言う
Ti sembra niente il sole!
La vita
l'amore
太陽がなんでもないと言う
人生が
愛が
Meraviglioso
メラビリオーゾ
il bene di una donna
che ama solo te
meraviglioso
あなたのこと だけを愛してくれる女性
という幸福
すばらしいじゃないか
La luce di un mattino
朝の光
l'abbraccio di un amico
友人の抱擁
il viso di un bambino
こどもの顔
meraviglioso
すばらしいじゃないか
meraviglioso
すばらしいじゃないか
La notte era finita
e ti sentivo ancora
夜は終わっていて
まだあなたを感じていた
Sapore della vita
命のかおり
Meraviglioso
メラビリオーゾ
Meraviglioso....
メラビリオーゾ
解説っぽいなにか
Domenico Modugno(ドメニコ・モドゥーニョ)とは
この曲は、イタリアポップ音楽界のレジェンドの一人と言われるDomenico Modugnoによって発表されました。日本では「ボラーレ」で知られる"Nel blu dipinto di blu"の人です。「ボラーレ」は有名ですが、「メラビリオーゾ」はあまり、というかほとんど知られていません。
有名なボラーレ
Volare - Domenico Modugno - Nel blu dipinto di blu
"Meraviglioso(メラビリオーゾ)"を解説*1
何について語っているのか
さて、「メラビリオーゾ」の解説ですが、まず、この曲が何について語っているのか、ということを明らかにしなければなりません。一度聞けばだいたいわかるわかりやすいテーマを扱っていますが、ざっと言ってしまえば、「人生(または世界)がいかに素晴らしいのか」ということを語っています。「Meraviglioso(ああ、すばらしいネ!)」となんども言っているのが印象的ですよね。
曲の語り手
この曲の語り手は二人います。一人が冒頭で「本当なんだ、信じてくれ」と始める、いわばこの曲の主人公です。彼(または彼女)は、くらい海を見て、飛び込もうとしているわけです。そこにangelo、つまりエンジェルが現れて、「待った」をかけます。そしていかに世界が素晴らしいのかということを彼に語っていくわけです。このエンジェルが、海とか太陽とか愛とかの素晴らしさを語るところが、イタリアっぽくて個人的には大好きです。そして「朝の光」「友人の抱擁」「子供の顔」ときます。一見、なんでそのチョイス?となりそうですが、全てスッと「ああ、そうね」と思わせる絶妙なチョイスでもあります。
最初は死のうとしている主人公から始まり、そこからエンジェルさんの独話になります。そのエンジェルさんが世界がいかに素晴らしいかについて語るわけです。そして夜が明け、最後は主人公が言うわけです、この世界は「メラビリオーゾ」と。
実はこの曲、イタリア最大の音楽の祭典「サンレモ音楽祭」に、「ふさわしくない」という理由で受け入れられませんでした。おそらく最初のはいりが「自殺」になっていたからだと思われます。まあよく考えなくても、「死」を一切肯定していないのですが、不適切という理由でサンレモに受け入れられなかったことからも、当時はあまり流行らなかったことが予想されます。
素晴らしきものとして挙げられているモノ
私は正直未だによくわかっていません。素晴らしきモノとして「海」「友人の抱擁」「こども顔」が挙げられています。なんとなくわかるものの、これらは何を象徴しているのでしょうか。「海を美しい」と思う感覚と「友人の抱擁」に抱く感情と「こどもの顔」に湧き上がる思いは、一体...何でしょう。「自然」と「人間」への愛なのでしょうか。
加えて、"il bene di una donna che ama solo te(あなただけを愛する女性から得られる幸福感)"も素晴らしいものとして挙げられているわけですが、なぜ「女性」なのでしょう。Modugnoが男だから?または「女性」が何かを象徴しているのでしょうか。正直まだまだ検討の余地がある歌詞です。
Negramaroによるカバー
この曲は、30年の月日を経て、Negramaroという超有名バンドによってカバーされることによって、再び注目されることとなりました。曲調が少し違うのですが、歌詞はほとんど同じで、伝えたい内容を見事に伝えきった名カバーと言えるでしょう。彼らの貢献は、なによりも、かつての名曲を若者たちにも伝えたという点にもあります。ちなみに、筆者もNegramaroから入ったクチです。
さて、歌詞が「ほとんど」同じ、と述べましたが、微妙に異なっている点があります。例えば、以下のフレーズが明らかに違います。
[Domenico Modugno]
perfino il tuo dolore potrà apparire poi meraviglioso
きみの痛みもいずれ素晴らしくみえるさ
[Negramaro]
perfino il tuo dolore potrà guarire poi meraviglioso
きみの痛みもいずれ治るさ、ああ素晴らしい
明らかにModugno版では"apparire"でNegramaro版では"guarire"と異なっています。"apparire"は「現れる」、"guarire"は「治る」という意味なので全く逆になっているように見えます。ただし、Modugno版の"apparire”ですが、Modugnoのこの曲は、「痛みすらも美しく、その痛みと向き合おう」ということを言ってますので、ここでは、"apparire"は「〜に見える」と捉えるのが妥当です。つまりいわゆるS(痛み)V(〜に見える)C(すばらしい)の関係で、「痛みすらいずれ素晴らしく見える」が訳としては妥当であると考えられます*2。
最初はModugnoの歌詞が間違っていると思っていましたが、何度聞いても"apparire"と言っているので、間違いなくこの解釈になります。そうするとNegramaro版の最後の"meraviglioso"が浮いていることに気づきます。"guarire"がSVC構文をとるとは考えにくいからです。なのでこれに訳を当てるとしたら、「ああ、すばらしい」と間投詞的に訳すしかないかもしれません*3。
私の理解が正しいとすると、二つのバージョンで全く異なったことを言っていることになってしまいます。「痛みもすばらしい」と「痛みも消えるよ」ではだいぶ違います。それでいいのでしょうか。Negramaroの作詞作曲を担当しているのは、Giuliano Sangiorgi (ジュリアーノ・サンジョルジ)という現代イタリアポップ音楽界の天才なので、きっと何か意味があるのでしょうが、私にはその崇高な意図が読みとれません。何かあればご教示ください。
何を読み取るか
私はNegramaro版から入ったので、そうだね「痛みもいずれは治るよね」と納得していました。いわゆる「時が解決する」というやつですね。しかし、Modugno版では「痛み、それすらも素晴らしい」と言っているわけですから、かなり積極的な感じになっていますよね。「時が解決する」というのは、真理ではあるものの、ある種の「逃げ」(消極的)でもあるわけです。Modugnoは、「逃げる」のではなく、「戦え、世界はこんなにも美しい」と言っているように見えます。
大きな悩みがある時は、考えたくなくても考えてしまい、何も手につかないということがあります。そういった時に「時が解決する」とそれを横に置いておくのも一つ、時間を確保してそれとがっぷり四つに組み合うのも一つ、ですね。