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イタミンキア イタリア語を面白おかしく学びたいをモットーに、おうまさんが運営しています。時々日本語教育の話も混ざりますが仕様です。

【陽気なイタリア人】僕の友達バルテルくん

イタリア留学時に僕のルームメイトだったバルテルくん。仲間想いだけど、頭のネジが抜けてるpazzo(変人)。そんなバルテルくん(仮名)を彼の名言とともに紹介したい。

 

バルテルくんの発言集

 

「ちょうどいいとこに来た!飲みに行こうぜ!」

 

 

筆者が下宿先に赴き、初めて出会ったときの一言目。

 

 

「ビタミン?そんなものはサプリで補っているから問題ないね!」

 

 

バルテルくんは、主食は肉、飲み物は酒。野菜は絶対に食べない。究極の偏食主義者。そんな彼の残した秀逸な名言。

 

「今日から酒は飲まないよ!よし、新しく生まれ変わった俺に乾杯しよう!」

 

そんな偏食生活の結果、心臓に疾患を患うことになる。医者から不摂生を窘められ、野菜を食べて 酒を控えるように提言される。そんな彼が残した一級ものの名言。

 

 

 

「お互い顔が見えない方が盛り上がるじゃないか!」

 

かなりの「farfallone(女好き)」のバルテルくん。ベネチアのカーニバルで、お互い仮面をつけたまま事に及んだことがあるとのこと。その時に彼が残した彼ならではの名言。

 

 

「関係ないね!」

 

 

家でパーティーした時に、うるさすぎて近隣住民に警察を呼ばれる。

しかし懲りずに 次の日もパーティーを開催する。そして警察から厳重注意を受ける。

 

 

「この傷がなにかって?フォークとナイフでついた傷だぜAHAHAH」

 

ダーツが趣味で、よく家(借家)の壁にフォークやナイフを投げて遊ぶ。壁についた傷を質問された時の陽気な一言。

 

 

「水筒は恥ずいから、ワイングラスも持っていくようにしたぜ」

 

バルテルくんは毎日外で飲む。 お金がないときはビールやワインの瓶をバールの前まで水筒で持参し、仲間たちと楽しく飲む。しかし水筒が恥ずかしい事に気づいたバルテルくんがスマートな解決方法を思いついた時の一言。

 

 

 

そんなバルテルくんは、中国から超好待遇のモデルのオファーが来るレベルの金髪長身の王子様系イケメンでした*1

 

 

*1:当記事はFくん執筆です。

空耳イタリア語

外国語がわからない時のあるあるが、「空耳」。ぜんぜん関係ないのに日本語に聞こえてしまうというアレ。イタリア語にももちろんあります。

有名なやつは、"cazzo(カッツォ)"が「カツオ」に聞こえるというアレですね。"cazzo"は「ちんちん」、でも日本語では「カツオ」になっちゃう。そんな感じです。

サザエさんでおなじみの「磯野カツオ」は「イソノカツオ」ですが、これは頑張ると、

Io sono cazzo 

イーオ ソーノカッツォ

「私はちんちんです」

に聞こえると言われています。"io"は「私」、"sono"はbe動詞、"cazzo"は「ちんちん」です。

 

さて、下品な話はここまでにして、私からも上品な空耳イタリア語をひとつ。イタリア語の空耳といっても、シチリア方言です。

シチリア方言では「ふざけんな」「くそやろう」をこう言います。

 

Ocaca.

オカーカ

「ふざけんな」「クソ野郎」

 

直訳すると「うんこ行ってこい」ですが、意味としては「ふざけんな」みたいなものです。

そうです。「おかか」です*1。つまり、「おかかおにぎりもってきたよ⭐️」というのはだいたい以下の意味なります。

 

「ふざけんなくそやろう、おにぎり持ってきたよ」

 

 

 

 

えっと、自分で言っていて何が言いたいのかわからなくなってきました。

 

ところで、私はそんな「おかかおにぎり」をわざわざ日本で購入してシチリア人の友達にプレゼントしたことがありました。

ありがたいことに、一ヶ月くらい机の上に飾っていました。そんなに気に入ってくれるとは思わなかったので、私は嬉しくてこう言ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

捨てなさい。

 

 

 

 

 

*1:「カカ」は「うんこ」の意味です。昔ブラジルの有名なサッカー選手の「カカ」がACミランに移籍してきた時に騒然としましたよね。

【アモーレ長友】こんな長友は嫌だ

僕のアモーレですね。イタリア語で「愛する人」という意味なんですけど。音節で分けると"a"、"mo"、 "re"で、アクセントは第二音節にある感じっすね。「アモーレ」の語源はそうですね、いくつか説があるみたいなんですけど。一つはサンスクリット語の「欲求」とか「魅力」を意味する"kama"から、っていうのがあるみたいっすね。他にもギリシャ語の"mao"からきてるっていう説もあるみたいです。その場合も「魅力」を意味するみたいですから、あんまり違いは感じられないですね。「アモーレ」の文法範疇の話をすると、そうっすね、「名詞」っていうことになりますね。格助詞を伴って文の補足語として働くっていうことっす。指示的に使って、冒頭で言ったように「愛する人」っていう意味ももちろんあるんすけど、二人称代名詞としても機能しますね。つまり、相手を呼びかけるときにも使えるっていうことです。他にも、人生を意味する「ヴィタ」とか喜びっていう意味の「ジョイア」もありますね。全部「愛する人」を呼ぶときに使うんすね。一つ注意してもらいたいのは、これは恋人同士だけでなくて、家族や親友にも使えるんで、愛情表現一般というところですね。そうっすね、用法はこんな感じなんすけど、皆さんも想像できるかもしれないっすけど、女性がよく使いますね。男性、特に若い男性は嫌がる傾向がありますね。甘ったるくていやという理由の他にも、それは自分の名前はじゃないという意識が強いみたいです。それかr...

 

【agnostico】私とイタリア語と宗教と【ateo】

皆さんは、自分が「なに教」なのか考えたことがありますか。

仏教神道キリスト教イスラム教、ヒンズー教…思いつくだけでもたくさんありますよね。

私は一応「日本人」として生まれ、「日本人」として育ちました*1

そして宗教のことは一切知りません。自分が「なに教」なのかなんて考えたことほとんどありません。初詣で神社、葬式でお経、教会で結婚式...なんでもこいです。なにも感じるところはありません。つまり、少なくとも私にとっては宗教は日常的ではありません。皆さんも比較的そういう方が多いのではないでしょうか。

しかし、イタリアとなると、「宗教」が生活の中に組み込まれています。国民の90%がカトリック(および、サッカーファン)だと言われます。街の中には教会があふれていますし、日曜日にはミサに行く、という人も珍しくはありません。

まあ、私は宗教にはにも詳しくありませんし、特にその点で言いたいことはないのですが、宗教がらみのイタリア語表現は覚えておいて損はないのかな、と思います。

特にイタリア人と話すときによく聞かれるのが、「君の宗教はなんだい😏」という質問です。困りませんか、この質問。「そんなこと言われても困るんだ😂」というのが私の正直な感想です。正直引くぐらい困っています*2

そこで、こういった質問には、基本的には以下のように答えるのがいいと思います。引くぐらいいいと思ってます。

 

Sono agnostico.

ソーノ アニョスティコ

「私は不可知論者ですキリッ

 →「あたしよくわかんないんだ😅」

 

つまり、「神がいるとかいないとか、そういうことには関心ないんだ😆」ということです。「そんなもの証明できないんだから、聞いてもしかたないんだ😝」というスタンスのときに使えばいいですし、基本的にはこう言っておけば間違いないかなと思います。引くぐらい間違いない。

宗教を聞かれたときにもう一つの答え方があります。

 

Sono ateo.

ソーノ アーテオ

「私は無神論者ですキリッ

 →「神なんていないんだ😡」

 

こちらで答えるときには少し注意がいるかもしれません。こういう風に言うイタリア人もたくさんいるんですが、敬虔な方などに言ってしまうと余計な問題を引っ張ってくるかもしれません。こっちは皆さんが自分の哲学を持っているときに使ってください。それこそマジで引くぐらい自信があるときに言ってください。

まあ、半分(以上)冗談ですが、"agnostico(アニョスティコ)"と"ateo(アーテオ)"、こういうところにも気を使うと、よりイタリア語の上級者っぽくなるのではないでしょうか。

"La Reppublica"のサイトに、"agnostico"と"ateo"の記事があったので、下に貼っておきますね。

La sostanziale differenza tra ateo e agnostico. | Dalla Scuola - Repubblica@SCUOLA - Il giornale web con gli studenti

 

こういった宗教があっての言葉の使い方って、我々は普段あまり意識しないところですから、面白いですよね。

 

うん、面白い。

 

でも、宗教にコミットするかどうかなんて人それぞれですから、あまり気にすることはありません。

だからこの記事も別に大した意味を持っていません。"agnostico"でも"ateo"でどっちでもいい。本当にどっちでもいい。引くぐらいどーでもいい。

 

 

 

 

 

 

あの金子みすゞも言っていました。

 

 

 

 

「みんなちがってみんないい」

 

 

 

 

 

 

おあとがよろしいようで。

 

 

 

*1:「日本人」を定義せよ、と言われたら困るので、こう言っておきます。

*2:仏教とか神道のこととかもよく聞かれるんですが、聞かれるたびにドヤ顔で嘘情報をばらまいてるのは私です。

【おしり】イタリア語にはおしりに関する表現が多すぎる問題【culo】

座学で勉強していると全然出会えないのに、実践ではよく出会うイタリア語は"culo(クーロ)(おしり)"です。

 

ほかにはありません、「おしり」一択です。

 

なぜイタリア語の教科書には「おしり」が出てこないのか。皆目見当がつきませんが、実際の会話ではよく使う言葉です。イタリア人は二言目には「おしり」です。

そこで、おしりに関する面白い表現を拾ってきたので、まとめてみました。あわよくば、「おしり」からイタリア人の本質に迫ってみましょう*1

 

愛すべきおしり表現たち

 

prendere per il culo

プレンデレ ペル イル クーロ

「おしりをとる」

 →「からかう」

 

わからなくはないような気もしますが、まず、おしりである必要性を教えてください*2

 

essere culo e camicia

エッセレ クーロ エ カミーチャ

「おしりとシャツだ」

 →「とても仲がいい」

 

シャツを着るとその先端がおしりにあたるからですか。そうですか。でも、できればおしりである必要性を教えてください。

 

che culo!

ケ クーロ!

「いいおしり!」

 →「ラッキー!」

 

「うんこ」の「うん」ですか。そうですか。私だったらね、「うん、そうだね、いいおしりだね」って返しちゃいますよ。

 

avere più culo che anima 

アベーレ ピュ クーロ ケ アーニマ

「魂よりおしりがある」

 →「超ラッキーだ」

 

なんでですか。ていうかさっきからおしり関係なくないですか。

 

leccaculo 

レッカクーロ

「おしりを舐める」

 →「ゴマをする」

 

おしりを舐められて喜ぶ人は極めて少ないと思うのですが。特殊なせih

 

In culo alla balena!

イン クーロ アッラ バレーナ 

「クジラのおしりの中!」

 →「がんばってね!」

 

とうとうおしりの中にはいりますか。そうですか。

ちなみに、こう言われたときは"speriamo che non caghi!(うんこしないといいなあ)"と答えます。じゃあ、まず入るなよ。ていうか一刻も早く出ろよ。

 

Vaffanculo!

ヴァッファンクーロ 

「おしりにアレを入れてこい!」

 →「くそやろう」「くそったれ」

 

入れたら出るかもしれませんしね。ここにきてようやくロジカルな表現に出会えました。バンザイ

ちなみに、こう言われたら"Vacci tu!(お前がいってこい)"と答えましょう。

 

avere la faccia come il culo*3

アベーレ ラ ファッチャ コメ イル クーロ

 「おしりみたいな顔をしている」

 →「厚顔無恥

 

でしょうね。だって、おしりですから。恥ずかしいし、だいたい前見えませんし。非常にロジカル。

 

 

 

ここまでくるともはや、イタリア人はおしりの宗教にでも入っているのかというレベルです。驚愕、感嘆、なんといえばいいのかわかりません。

 

ということで、イタリア人の友達に聞いてみました。

なぜこんなにもおしりに関わる表現がおおいのか。

彼女の答えで真実に迫れるかもしれない。

そんな期待を胸に、答えを待ったのである。

 

そして以下が彼女からの返事である。

 

Ma perchè tu lo vedi collegato ad おしり invece devi vederlo come una cosa a parte! Perchè molto spesso non é collegato a quella parte del corpo! Ha un'essenza e una vita propria... ←... ... cosa sto dicendo?! 😂😂😂

 

(適当な全訳) 

あなたは"culo"と「おしり」をつなげて考えすぎなのよ。

別のものだと思わなきゃ。

だって大体の場合体の一部とは関係ないんだから。

もっと真理的なものなの、人生そのものなの。(以下略)

 

 

 

彼女の答えで真実に迫れるかもしれない。

 

 

 

そう考えた私がバカでした。

 

 

 

 

 

以上です。

 

 

 

*1:本記事をまとめるに当たっては、特にデータ収集においてSさんの力添えをいただいた。感謝申し上げたい。当記事のミスは当然私のみに帰せられる。

*2:この表現はかなりキツめの表現です。怒った時に使います。友達同士で軽くやりとりする時は"prendere in giro(プレンデレ イン ジーロ)(ふざける)"を使います。くれぐれも"prendere in culo(おしりにつれていく)"にしないようにしましょう。

*3:フィレンツェ方言である可能性があります。

イタリアのいじめ防止啓発動画が面白かった

イタリアのいじめ啓発動画が面白かったので紹介します。

Fondazione Milano (ミラノ財団 )が作成した動画のようです。

Creatività, talento, passione | Fondazione Milano

 

イタリア のいじめ防止啓発動画

以下の"Spot contro il Bullismo"という動画ですが、イタリア語がわからなくても問題ありません。ぜひみてみてください。

以下では、特に2:19~2:53の部分を取り上げてお話ししますので、時間が許さないようであればぜひそこだけでも。

www.youtube.com

 

動画概要(2:19~2:53)

舞台はサッカーの試合前。ある少年が必死にトイレの水道で額を洗っています。そこにチームメイトがやってきて、その少年を見て額を見せてみろ、となります。そしてそこに「ちんちん」の落書きがされていることに気づきます。

場面は変わり、試合開始直前のコート。(おそらく少年をいじめている)相手チームは談笑しています。そこに現れる少年。相手チームは彼が堂々と額の落書き(ちんちん)を見せながら笑っていることに気がつきます。その周りには彼のチームメイトが全員額に「ちんちん」を描いている姿で現れます。

そして、"I CAZZI DEGLI ALTRI SONO ANCHE CAZZI TUOI(他人が抱えている問題は自分の問題でもある)"、"FAI SQUADRA CONTRO IL BULLISMO(いじめにはチームで立ち向かえ)"とテロップが流れて終わりです。

 

動画解説

映像とことばのかけあい-「ちんちん」が意味するもの-

動画内で嫌が応にも目に入るのが額に描かれた「ちんちん」です。これは、もちろん「イジメ」の象徴的なエンブレムでもあるわけですが、この動画ではそれ以上の意味を持っています。

イタリア語では「ちんちん(まあ、つまりは陰茎)」のことを"cazzo"と言います。そして、この"cazzo"を用いた表現は多種多様に渡りますが、動画内で使われている表現は以下のようなものでした*1

 

"essere cazzi tuoi"

エッセレ カッツィ トゥオーイ

「お前の問題だ」

 

詳しくは説明しませんが、簡単にいうと"cazzi"というのが日本語で言うところの「抱えている問題」くらいにあたります。直訳して「お前のちんちんだ」とかそういうことではありません。

そして最後に出てくるフレーズは

 

"I cazzi degli altri sono anche tuoi"

イ カッツィ デッリ アルトリ ソーノ アンケ トゥオーイ

 

で、これも直訳すると、「他の人のちんちんはお前のちんちんだ」ということになりますが、実際にはそんなわけありませんから、動画内での意味は、「他の人の問題は自分の問題でもあるんだ」となります。まあ、「見て見ぬ振りをするな」という意味ですね。

ですからこの動画内では、「ちんちん」というイジメのエンブレムと、"cazzo"という言葉のもつ一種の曖昧性を利用しているわけです。なかなか面白い発想ですよね。

ちなみに、動画の切れ目切れ目ででてくる"bullismo"は「イジメ」という意味で、"mo"の部分を"no(だめ)"にかえて"bulllisNO"「イジメだめよ」という言葉遊びです。

 

イタリア社会が抱えているイジメ問題

このあたりの社会的問題は私の専門ではないので、あくまでも印象論ですが、イタリアは、日本以上に「グループ」というまとまりを大切にします*2。何をするにも4~10人のグループで決めます。遊びに行くのも、ご飯に行くのも、飲みに行くのも、とにかくなんでもです。よく言えば連帯感があるということですが、悪く言えば、何かを起こしてしまうと、些細なことでものけものにされるということでもあります。このあたりが動画内でも言われているのかなという気がしました。実際最後に出てくるフレーズは、

 

"Fai squadra contro il bullismo"

ファイ スクアードラ コントロ イル ブッリーズモ

「イジメにはチームで立ち向かえ」

 

です。私は、動画内でのサッカーの「チーム」というのがイタリアの「グループ文化」を象徴していると理解しました。 

仲良くしていたグループからある日急にのけものにされるという経験は、少なからずある程度の人が持っていると思います。そうした時に、ある種の「イジメ」に耐え、そのグループに所属し続けるのではなく、他のグループもあると割り切って切り捨てることも大事です。常日頃からいくつかの選択肢を持っておくのがいいかもしれませんね。

 

ということで、イタリアのイジメ防止啓発動画でした。

*1:ここでは便宜上"cazzo"と"cazzi"は同じものだと思って下さい。

*2:日本の方がイジメが少ないとか陰湿じゃないとかそういうことを言っているわけではありません。

【低俗注意】イタリア人とウンコの話【merda】

社会派ブログとしての役割を果たすべく、以下の論文を発表する。

 

 イタリア人とウンコの関係に関する一考察

 

1.本論文の目的

 本論文では、イタリア語の名詞"merda(メルダ)(うんこ)"を対象に、イタリア人と「ウンコ」の間の関係性を明らかにし、クソみたいな記事をネットにクソばらまくことを目的とする*1

 

2.先行研究と問題設定

 管見の限り、イタリア人とウンコの間の関係性を捉えようとした研究は以下のものを除いてほとんど存在しない。クソ存在しない。

 

k-lieux.hatenablog.com

  本節ではクソみたいな先行研究を概観する。クソ概観した後、先行研究では扱われなかった「ウンコ」を対象に、イタリア人の本質に「ウンコ」からクソ迫ることを試みるための問題設定を行う。

 

2.1 先行研究の概観

  先行研究では動詞"cacare(カカーレ)(ウンコをする)"の用法についてクソみたいな分析がなされている。概観にクソ値しない。

2.2 本論文の問題設定

 本稿では、先行研究のクソみたいな成果を踏まえて、名詞"merda(メルダ)(うんこ)"に着目し、その用法の分析を行う。なお、めんどくさいという理由で、"merda"は以下「メルダ」と表記する。

 

3.「メルダ」の用法

 「メルダ」には多種多様な用法がある。本節では、「メルダ」の用法を、便宜的に⑴感動詞用法、⑵強調用法、⑶イディオムの三つにクソ分ける*2

3.1 感動詞的用法

 本稿では感動詞を「相手に対する感情を表す」非分析的な形式とする。「メルダ」は、日本語で「ウンコ」であり、「クソ」でもある。日本語でも「クソ!」と感情表現をするように、イタリア語でも同様の感動詞的用法がクソ見られる。

具体的には、サッカーの試合を観戦中、応援しているチームがミスしたときに、「メエエエエエルダアアアアア」と叫んだり、相手チームを貶める時に「ユーベ メェェェェェェルダァァァァァ*3」 と相手チームの名前と一緒に皆で合唱したりと様々な場面でクソ使用される。

3.2 強調用法

 「メルダ」には事柄や事態の程度の甚だしさを強調する程度用法も存在する。日本語でも副詞的用法の「クソムカつく」に見られるように、ネガティブな表現で「クソ」を使うことがあるが、「メルダ」にも同様の用法があり、これらは "di merda(ディ メルダ)" という形式でクソ用いる。

 

(1) Sei uno stronzo di merda. 「お前クソ野郎だな」

 

上記の(1)は、「セイ ウノ ストロンツォ ディ メルダ」と発音する。"Sei"は二人称単数形、"stronzo"は「クソ野郎」で、「お前クソクソ野郎だな」という意味を持つ。ここでの "di merda" の汎用性は高く、なんでもとりあえず"di merda"をつけておけば、ネガティブな意味での強調を相手にクソ示すことができる。当該表現は超重要フレーズとしてイタリア人の会話に3分に一回は出現することがクソ確認されている。

3.3 イディオム用法

 本節では、「メルダ」を用いたイディオム(慣用句)表現を概観する。まず以下の例をクソ見られたい。

 

(2) Sei un pezzo di merda. 「お前はウンコのかけらだ」

 

「人間はウンコの欠片」ではない。これはイディオム用法と呼ぶよりはメタファー的用法と呼ぶべきかもしれないが、本稿ではここに分類しておく。(2)は最上級の侮蔑表現であり、使う場面が限られるとはいえ、イタリア語会話において欠かすことができない表現の一つである。

 次に以下の例を見られたい。イタリア人がいかに「ウンコ」に染まっているかがクソ示される例である。

 

(3) essere con la merda fino al collo 

エッセレ コン ラ メルダ フィーノ アル コッロ 

 

"essere"はbe動詞「〜だ」、"con la merda" は「ウンコと一緒」、"fino al collo" は「首まで」である。したがって、日本語の直訳としては「首までウンコに浸かっている」ということになる。意味するところは「大きな問題を抱えている」である*4。もはや意味不明である。

 

4.イタリア人とウンコ

 先行研究でもすでに示されているように、イタリア語には「ウンコ」が溢れている。イタリア人=イタリア語を話す人、イタリア語を話す人=ウンコを多用する人、イタリア人=ウンコを多用する人という完璧な三段論法的論証がここには成り立つのである。したがって、本稿では、「イタリア人」は「ウンコ」であると主張する*5

 

5.おわりに

 本稿では、「メルダ」を対象に、その用法及びイタリア人とウンコの間の関係性を明らかにした。結果、イタリア人はウンコであると論じた。イタリア人はウンコが好きなので、彼らと会話する際によく出てくる「ウンコ」を使いこなすことで、相手との距離を縮めることができる。したがって、本稿での成果は、「メルダ」の用法、それとイタリア人との関係を明らかにすることに寄与するだけでなく、イタリア語教育に役立つ可能性も秘めている。今後の発展可能性としては、そのあたりにクソ着目しながら分析を試みるということが考えられる。

 

 

 

*1:なお本稿は、私の竹馬の友Fくんが私に発表した内容を大幅に加筆、修正したものである。

*2:適当である。

*3:インテル大好きな原稿作成者Fくんのユベントスが嫌いという私怨である。

*4:当該の表現はサルデーニャ方言である可能性もあるが、これは今後の課題としておきたい。

*5:本当にすみません。